京大公論
京大 −青年の「自立」に最適たる場所―
京都大学法学部四回生
秀村淳一
今、京大に「自分がこれをやりたいっ!」って思ってる人は、どれくらいいるんだろう?僕の周りには、結構いる。あなたの周りは、どうですか?あなた自身は、どうですか?
浪人してきた人は、そういう意味で強い。自分がこれをやりたいということをハッキリ持ち、危機意識も高くなければ、受験勉強を乗り切ってこれなかっただろうからだ。しかし、僕自身は、大して深く考える事もなく、安易に大学を決め、疑う事すらしなかった。恥ずかしながら「これがやりたい」ってことは全く持っていなかった。大学に入ってからも、これといって将来目指す夢も人間像もないままであった。そんな折、友人が主催した活動を通して、同じ学生同士での差をまざまざと見せ付けられた。「このままではヤバい!」
彼らの活動自体に参加する事も考えたが、諸般の事情があって、その活動に協力していた学生団体へと参加する事となった。その団体自体は、友人が主催した活動の少し前に存在を知り、参加した事もあった。活動内容はたしか、WTOのことであり、僕は半分も理解できなかった。しかし、漠然と伝わってくる「面白さ」、そこに集う人間の「熱さ」に魅せられ、僕は飲み会の席で「僕もやります!」と言ってしまったのだった。
「面白そう!」「やってみたい!」こんな素朴な感情表現は、皆は嫌いかもしれない。客観的にそれをするだけのメリットがあるか、冷静に分析してからでないと、手を出さないようなところがあると思う。ある意味「ノリ」や体育会的な「熱さ」を嫌う人も多いだろう。
別にそのこと自体を批判するつもりは毛頭ない。ただ、そればっかりで、本当に「楽しい」人生送れてきた?「アホらしいことやってんなぁ」って冷ややかに見てて、面白い?「アホらしいこと」を楽しくできる人はすごく素直な人だと思う。自分がやりたいから、やる。周りが反対しようが、誰かに邪魔されようが、やる。それは、そこに他人の評価軸が入り込んでいないからできることだ。
「アホらしい」っていうのは、裏返しの感情だと思う。本当は楽しそうなのが羨ましくて、自分もしてみたい。でも、それをすることで恥をかくのは嫌だ、怒られるのは嫌だ、と思ってしまうから、「アホらしいことをしないことが正しい」のだ、と自分を正当化してしまうんじゃないだろうか。それは、他人の評価軸から抜け出せていない、ということだと思う。
なぜ、他人の評価軸から抜け出す事ができないのか?その軸は、どういう軸で、なぜ、それに縛られる人が多いのか?僕は、その根本は「いい子」という軸にあるように思う。「いい子」は頭の良い子だ。大人が考えている事・子供に求めていることを察知できてしまう。それは、更なる幼少期の環境にまで遡りうる。が、ここでは「いい子」という軸について考えてみたい。
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