京大公論
皆、「いい子」で育てられすぎてるなぁ、と思う。じゃぁ、どうすればいいのだろう?僕は、陳腐な表現であるけれども、「自立」こそが大事であると思う。では、自立とは何か?それは、先ほども述べた、自分自身の中に、自分自身による価値基準を持つ事だと思う。自分自身でしたいことをし、した結果、まずかったことは、学べばいい。恥をかいてもいいじゃないか。失敗してもいいじゃないか。僕たちは学生なんだから。ちょっとくらい物事を知らなくても、礼儀を知らなくても、おかしなことをしても許される。ただ、それに甘えてはいけないと思う。常に学び、常に自分自身を変革していく、という姿勢を持たねばならないと思う。
そのために、一番大事なことは、「自分のしたいことをする」ことだろう。もちろん、こんなものは必要ないかもしれない。しかし、将来を展望したときに、果たしてそれでも必要ないと断言できるだろうか?僕にはできない。時代は、資本集約型産業から、知識集約型産業へと移行してきている。それに伴って、企業が求める人材は大きく変わってきた。受験勉強だけしてきた、知識はあるけれどもそれを活かすことのできない人。上司から言われた事はできるけれど、自分自身で何が問題かを発見し、問題解決に向けて行動するという事ができない人。コンピューターの発達によって問題解決型のマニュアル・レイバーとしての人材は不要になりつつある。
そんな人材は、残念ながら京大でも大勢いるのではないかと思う。もったいないなぁ…と感じている。自分がやりたいことを「やろう!」って仲間を巻き込んで、一緒に物事作って、動かして…。別に、大層なものでなくていい。自分自身がHappyな状態は何なのか、それを追求することが大事なんだと思う。その方が楽しそうじゃないですか。好きでもない事を我慢してやり遂げて…。確かに充実感は感じるかもしれないけれど、余計なエネルギーをいっぱい使ってすごく疲れてしまいそう。あの人はこういうことをした、社会ではこういうことを求められている…そういうことに惑わされてはいけない。自分が何をしたいのか、何をしているときに自分は生き生きとしているのか…それを見つめなおしてみるのが大事なのではないだろうか。
どうすれば、それができるようになるか?そのことで僕も随分と悩んだ。そして、今も悩みつづけている。しかし、悩んだ結果、一つだけ思ったことがある。「一人で悩んでいても仕方がないぞ。」社会は人と人との繋がりで構成されている。人に対して自分の想いを伝えていく事が、大事なのではないだろうか?自分自身について思うこと、将来的なこと、自分の夢…。最初は口に出すのが恥ずかしい。背筋がぞぞっとする。でも、ある時から自分の思っている事が共感されたり、「それっていいよね」って言われたり…。そのことで、自分自身に対する自信が深まるのではないだろうか?共感されなかったり、けなされたりするかもしれない。でも、それを乗り越える事も、また大事だろうと思う。
青年の自立というものは、こういうものではないだろうか?それがされないまま社会に出ている人が多いことが、近年の若年離職者層になっているのであり、フリーターの多さに繋がっているのではないかと思う。
幸いにして、京大には、自分を見つめ直すだけの時間的自由(もし単位が十分ならば、だが…)と、議論ができるハイ・レベルな仲間たちがいる。そして、それが今までにも京大から立派なOBが輩出されてきた大きな要因であると思う。僕らはとても恵まれた環境にいるのだ。
変わるためのチャンスはいくらでもある。変えたい人は、今すぐ変える事ができるのだ。そして、「自立」を遂げた人たちが京大から多く出て、自分のやりたいことを一生懸命やって欲しい。それがこの閉塞した日本の空気を打破していくのではないだろうか?
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