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李登輝閣下を京大へ!パート4


1. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/15(金) 15:14:17
過去スレ
パート1
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200210/02100008.html
パート2
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200210/02100023.html
パート3
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200210/02100046.html

2. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/15(金) 15:39:49
実に無念。
中西教授の話によれば、おそらく外務省は李登輝氏にビザを発給しない模様。
理由はやはり中国。現在、北朝鮮との問題が絡み、中国を通じて北朝鮮に
核開発をやめさせる必要性があるという事情があり、そのために中国に
ゴマをすらねばならない状況らしい。また、田中均、福田官房長官などは
親中派であるため、今回の件についてビザ発給に反対し、賛成派を
抑え込み、異例の「先例破り」になったというわけだ。

で、
これで道が閉ざされたわけではないことを強調しておきたい。
今回の件のほとぼりが冷めたころ、東京の方で李登輝を呼んで
シンポジウムを開こうという動きがある。その時に京都にも
立ち寄って講演をしてもらおうというわけだ。
しかし、今回は時期がいつになるか分からない。
ほとぼりが冷めるのに3〜6ヶ月かかるからそれまで待つことになる。
で、
もう一度李登輝氏に招待状を書き、今度は中西教授経由ではなく、
直接日台友好協会(台湾総領事館)に送りつける。その上で
返事を待つという形になる。おそらく来年の2月あたりから
来日に向けての話が出てくるものと思われる。

11月京大訪問という企画は失敗に終わった。
しかし、同時に再チャレンジするための方向性が見えた。
とりあえず招待状を書くところからやり直しである。今日はヤケ酒決定!

3. まつぼっくり 2002/11/15(金) 15:42:23
おつかれさん

4. 2002/11/15(金) 17:12:13
李登輝やなくてもっと呼びやすそうなOBから始めてみるとか。

5. 2002/11/15(金) 17:47:00
今↑がいいことを言った。

6. 呼びやすそうなOB 2002/11/16(土) 09:08:00
竹内と田中を呼ぼうぜ。

7. 私刑のススメ 2002/11/16(土) 09:27:23
激しくマイナーだが、
蒋経国政権で法務部長、交通部長を歴任した呂桂感氏、
元台北市長の聞梁氏あたりはどうよ?

8. 李登輝閣下には 2002/11/16(土) 14:21:24
ひとつ中核や政経研の馬鹿どもに喝を入れていただきたい

9. >>入り浸り 2002/11/16(土) 17:07:36
14日の国際政治論って休講じゃなかったっけ

10. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/16(土) 18:27:52
15日のゼミ後に会ったが何か?

11. >入り浸り 2002/11/16(土) 19:17:53
入り浸り氏って何学部?
経済?騒人?

12. 2002/11/16(土) 20:57:33
そのどちらかです。これ以上は私の口からは言えない。

13. すべてを知るもの 2002/11/16(土) 21:08:48
農学部。李登輝を呼びたがるのもそのため。

14. 2002/11/16(土) 21:42:41
嘘を付くな。入り浸りは理系じゃない。

15. 払? 2002/11/16(土) 21:43:12
払?

16. 本日の読売社説 2002/11/17(日) 09:58:33
-嫌中感情を増幅させる外務省 -
外務省は、いつまでこんな対応を繰り返すのか。
 台湾の李登輝・前総統に対する訪日査証(ビザ)の発給問題である。
 慶応大学の学生サークル主催の後援会に出席しようとした、李氏のビザについて、外務省は、発給しない方針を打ち出した。李氏も、今回の訪日を断念したという。
 発給拒否の理由を、外務省は「私人による私的な訪日と評価するのは、極めて困難なため」としている。
 李氏は、二〇〇〇年五月に総統を退任し、今は公職を離れた、一人の私人である。犯罪者などではなく、入管難民法など国内の法令に照らして問題がない以上、私人のビザは、淡々と事務的に発給の手続きを進めるのが筋だ。
 英国は、李氏の総統退任後、程なくして訪問を受け入れた。チェコも、一昨年十月に、国際会議に出席する李氏の入国を認めた。米国は昨年、五年間有効の数次ビザを発給している。
 ビザ発給は日本の主権にかかわる問題だ。外務省は今回、何を根拠に、私的な訪日ではない、などと判断したのか。
 与野党の議員から「外務省の説明は到底、受け入れられない」といった声が相次いだのも、当然である。
 外務省には、昨年四月に李氏が病気治療のため訪日ビザを申請した祭も、書類が提出されていたのに「申請の事実はない」などと嘘をついて、ビザ発給を拒もうとした”前科”がある。
 中国は、李氏を台湾独立勢力の後ろ盾と位置づけ、一貫して李氏の訪日に強く反対している。その中国に対する、外務省内の、いわゆる”チャイナスクール”が、度をすぎた配慮をしたために起きた醜態だった。
 それから教訓を得なかったのか。今回の対応にも無用な対中配慮が見える。
 日中関係が重要であることに異論はない。だが、それは、外交の自主性を放棄して、中国の主張を全て受け入れなければ維持できない、というものではないはずだ。
「中国に媚びている」と批判されるチャイナスクールの姿勢は、かえって、日本国内の嫌中感情を増幅させる結果になっている。中国瀋陽の亡命者連行事件が、その端的な例である。
 それにしても、こうした不見識な対応をいつまで続けるのか。
 福田官房長官は記者会見で、「外務省に任せている」と語ったが、主権意識が薄い首相官邸であってはならない。
 国のありようが問われている。外務省の姿勢を正すのは小泉首相の役割だ。

17. だったら、 2002/11/17(日) 12:55:08
中国と断交すれば良い。その覚悟もないくせに、この種の世論は極めてナイーブで危険である。

18. 断行したら 2002/11/17(日) 13:05:55
中国も困るじゃん。

19. おっと 2002/11/17(日) 13:06:17
断行→断交

20. もちろん中国も 2002/11/17(日) 16:27:34
困るだろうが、彼らはその覚悟でやっている。
嫌中感情の背後に大衆レベルでしか思考力を持たない日本政治家がある。

21. 2002/11/17(日) 16:58:52
このスレは中国と断交するとどうなるかを議論するスレになりました。

22. たしかに 2002/11/17(日) 17:03:53
日本の政治家には覚悟が無いな。

23. これほど嫌中 2002/11/17(日) 17:05:13
感情があるならば、議論してもいいんじゃない?
いつまで経っても、欲求不満であるよりも。

24. 日本の政治家には 2002/11/17(日) 17:30:57
覚悟が無いというよりも、哲学が無い。
しかし、日本人は哲学が嫌い。
日本の政治家の問題は、究極的に日本人の問題でもある。

25. 価値判断 2002/11/17(日) 17:42:32
究極的な価値判断を避ける人は弱いものである。
こうした人たちは相手が弱ければ、強く出るが、
相手が強ければ、弱くなる。
被説明変数になるのは当然である。

26. まつぼ 2002/11/17(日) 18:01:57
>↑
中国も、相手が強く出ると下手に出て相手が弱く出ると強くに出る、
という。李登輝はそれを使って中国に謝罪させたとか。

27. 中国と断交する覚悟が 2002/11/17(日) 18:02:47
無いにもかかわらず、嫌中感情が広がっているのは、中国が充分に強くなっていないからである。中国がアメリカと同じぐらい強くなっていれば、嫌中感情や中国脅威論が消えるとまで言わないが、問題にならないだろう。この国の国民感情は、安価なものである。

28. 面白い話 2002/11/17(日) 18:08:51
>李登輝はそれを使って中国に謝罪させたとか。

 聞いたことが無いので、具体的に何の話?

29. まつぼ 2002/11/17(日) 18:11:48
>↑
忘れた
なんだたっけ

30. あきらめムード 2002/11/17(日) 18:41:03
>嫌中感情が広がっているのは、中国が充分に強くなっていないからである。
中国が米国に次ぐ強国であるという認識が日本国内では十分に広がっていないのは事実だが、
ここまで頻繁に内政干渉を繰り返されればどんな強国相手であろうとうんざりする。
むしろ、過去に日本を焦土と化し、多くの父祖を殺害し、
中国以上に内政干渉してくる米国に対する反発が少ない方がおかしいのだ。
嫌米感情の異常なまでの薄さには、米国が世界最強国であるという以外の何かがあると思う。
ただ強いというだけで反発できないほど、日本国民が腑抜けているとは思いたくない。

31. 2002/11/17(日) 19:22:23
生活スタイルと文化

32. 2002/11/17(日) 19:22:30
そりゃ、中国のはあることないこといいながら謝れの一点張りだろ。国際的なルールも平気で破るし。それに韓国が加わってウザさ倍増。

33. アジアで 2002/11/17(日) 21:27:58
友人どころか、基本的な信頼関係さえ作れないのは、やはり日本の狭い世界観に問題があるように思える。
自分のこと、目先のことしか考えていない。世界の市民になろうともしない。
経済大国でありながら、アジアでリーダシップを発揮できない原因はここにある。

34. 2002/11/17(日) 21:31:45
アジアで友人とかいって、日本にゴチャゴチャ言ってくるのはあのデンパ3国だけじゃねーか笑

35. 2002/11/17(日) 21:36:10
日本の驕り。

36. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/17(日) 21:36:17
ヨーロッパはローマという共通の先祖を持っているために一つになれる。
しかし、アジアは違う。日本には日本のルーツ、日本の神話、日本の文化、
日本の言語が存在し、中国には中国の、インドにはインドの、
マレーシアにはマレーシアの、タイにはタイの、全ての国に固有の文明、
文化が存在している。これを超えるというのはEU統合よりも
はるかに難しい。アジア共同体論は「異質なアジア・多様なアジア」を
無視した議論と言えるだろう。それは大東亜共栄圏の過ちから
一歩も抜け出ていないのだ。

さて、
別スレでやらねえ?

37. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/17(日) 21:39:09
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200201/02010008.html

こっちあげといた。

38. 2002/11/17(日) 21:39:57
日本の視野の狭さはここにも反映されている。

39. たしか、 2002/11/17(日) 21:47:35
石原は長い間、中国のことを「支那」、「支那」と読んでいた。最近は、「支那」と呼ばなくなった。石原の言う「国民感情」は安価なものといわれても仕方が無い。

40. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/19(火) 01:35:25
そろそろ招待状書こうかな。
ていうか日台友好協会の住所知らんぞ。
「大阪 日台友好協会」で届かないかな。

41. あきらめムード 2002/11/19(火) 02:06:13
>入り浸り
遅い。李登輝氏ほどの人物を呼ぶのなら、なぜもっと早く手紙を書かない。
向こうにも色々と都合があるだろう。
こんなに手紙を出すのが遅れては、あまりに礼を失するのではないか?
少なくとも、10日ぐらいで日程の都合が付くような人ではないぞ。

42. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/19(火) 12:22:29
>あきらめムード
ちゃんとログ読んだか?11月来日は消えたんだぞ。
ていうか11月来日に向けて招待状は送った。
今話しているのは来年春の来日に向けてだ。

43. 2002/11/19(火) 13:09:24
大物気取り。


44. まつぼっくり 2002/11/19(火) 13:31:49
>↑
小物は隅っこで大人しくしてろ。

45. あきらめムード 2002/11/20(水) 04:07:47
>入り浸り
すまん。長くて読む気がしなかった。
あと半年あるなら、今のうちに適当な組織をでっち上げておくんだな。
経験上からアドバイスさせてもらえば、署名活動はまったく意味が無い。
1万人の署名より、一人の有名人を味方に付けた方が圧倒的に有利だ。
頑張ってくれ。現実的な協力はできないが、応援する。

46. ところで 2002/11/20(水) 06:47:33
昨日の産経に三田祭で読む予定だった原稿が載ってたね。

47. ふぉっくす 2002/11/20(水) 08:40:59
↑これじゃない?

李登輝氏「日本人の精神」全文

 台湾の水利事業に尽くした故八田與一氏 危機時代乗り切る指針
(産経新聞 2002.11.19 朝刊 国際欄)

 台湾前総統の李登輝氏が十一月二十四日に慶応義塾大学の大学祭
「三田祭」での講演を想定して準備した原稿の全文は次の通り。原
文は李登輝氏が執筆した旧漢字かな遣いの日本語だった。(台北 
河崎真澄)

***

 経済新人会の森本代表、三田祭幹事会の皆様、ご来賓の皆様、こ
んにちは! ただ今ご紹介を受けました李登輝です。

 この度、三田祭開催を前にして、金美齢女史と経済新人会の森本
代表、河野先生が十月十五日にわざわざ台湾にいらっしゃいました。
そして私に三田祭、経済新人会主催の講演で「日本精神」について
話してもらえないかと招聘状をいただきました。私はこれは難しい
題目だなあと知りながら、しかし、即座によいでしょうと返答しま
した。これにはいろんな理由があります。

 一つは三田祭幹事会の皆さんが若き学生であり、そして日本精神
について知りたいということは、日本の現状と将来について、考え
に考えたあげく、この問題を私に求めたものと思います。こんな立
派な若者が日本にたくさんいることを知り、すっかり私の心を打つ
ものがありました。

48. ふぉっくす 2002/11/20(水) 08:42:06
続き…

第二に私は、かつて日本の植民地・台湾で生まれ、かなり日本お
よび日本についての教育を受け、最近はまた、新渡戸稲造氏の武士
道、すなわち日本人の精神について、その解題(分析)を書き、日
本精神についてかなり考える機会を与えられました。

 いま、私たちの住む人類社会は未曾有の危機に直面しています。
地球規模の大戦や骨肉相食(は)む血みどろの内戦や紛争の二十世
紀が終わり、平和や繁栄の時代が到来したと安堵したのも束の間、
世界ではますます不穏が続き、二〇〇一年の九月十一日にニューヨ
ークやワシントンを多発的に襲った未曾有のテロ事件が発生しまし
た。

 まさに、人類社会自体が危機竿頭の大状況に直面しているときだ
けに、世界有数の経済大国であり、平和主義である「日本および日
本人」に対する国際社会の期待と希望は、ますます大きくなると断
言せざるを得ません。数千年にわたり積み重ねてきた「日本文化」
の輝かしい歴史と伝統が、六十億人の人類全体に対する強力な指導
国家としての資質と実力を明確に示しており、世界の人々から篤い
尊敬と信頼を集めているからです。

 この指導国家の資質と実力とは何でしょう。

 これこそは日本人が最も誇りと思うべき古今東西を通じて誤らぬ
普遍的価値である日本精神でしょう。人類社会がいま直面している
恐るべき危機状態を乗り切っていくために、絶対必要不可欠な精神
的指針なのではないでしょうか。

 しかるに、まことに残念なことに一九四五年以後の日本において、
このような代え難い日本精神の特有な指導理念や道徳規範が全否定
されました。日本の過去はすべて間違っていたという「自己否定」
な行為へと暴走して行ったのです。

49. ふぉっくす 2002/11/20(水) 08:43:26
続き…その2

日本の過去には政治、教育や文化の面で誤った指導が有ったかも
しれませんが、また、素晴らしい面もたくさんあったと私はいまだ
に信じて疑わないだけに、こんな完全な「自己否定」傾向がいまだ
に日本社会の根底部分に渦巻いており、事あるごとに、日本および
日本人としての誇りを奪い自信を喪失させずにおかないことに心を
痛めるものの一人であります。これらが、私をして三田祭講演の招
聘状を即座に承諾させた理由でもあります。

 皆様に日本精神は何ぞやと、抽象論を掲げて説明するだけの実力
を私は持っておりません。(司馬遼太郎の著書「台湾紀行」に“老
台北”として登場する実業家の)蔡焜燦さんの書かれました「台湾
人と日本精神」みたいな立派な本をもって説明することもできませ
ん。私としては日本の若い皆さんに、私が知っている具体的な人物
や、その人の業績を説明し、これが日本精神の表れです、普遍的価
値ですと説明した方が、皆さんにもわかりやすく、また、日本人と
しての誇りと偉大さを皆で習っていけると考えるものであります。

 台湾で最も愛される日本人の一人、八田與一について説明しまし
ょう。

 八田與一といっても、日本では誰もピンとこないでしょうが、台
湾では嘉義台南平野十五万町歩(一町歩はおよそ一ヘクタール)の
農地と六十万人の農民から神のごとく祭られ、銅像が立てられ、ご
夫妻の墓が造られ、毎年の命日は農民によりお祭りが行われていま
す。彼が作った烏山頭ダムとともに永遠に台湾の人民から慕われ、
その功績が称たたえられるでしょう。 

 八田與一氏は一八八六年に石川県金沢市に生まれ、第四高等学校
を経て一九一〇年に東大の土木工学科を卒業しました。卒業後まも
なく台湾総督府土木局に勤め始めてから、五十六歳で亡くなるまで、
ほぼ全生涯を台湾で過ごし、台湾のために尽くしました。

 一八九五年に日本の領土になったころ、台湾は人口約三百万人、
社会の治安が乱れ、アヘンの風習、マラリアやコレラなどの伝染病
などの原因で、きわめて近代化の遅れた土地であり、歴代三代の台
湾総督は抗日ゲリラ討伐に明け暮れた時代でありました。第四代の
児玉(源太郎)総督が民政長官の後藤新平氏を伴って赴任した一八
九八年ごろに、台湾の日本による開発が初めて大いに発展しました。

50. ふぉっくす 2002/11/20(水) 08:44:44
続き…その3

八田與一氏が台湾に赴任するのは、後藤新平時代が終了した一九
〇六年以降のことです。後藤新平時代に台湾の近代化が大いに進ん
だとはいえ、以前があまりに遅れていたこともあり、八田氏が精力
を傾けることになる河川水利事業や土地改革はまだまだ極めて遅れ
ていました。

 台湾に赴任してまもなく、台北の南方、桃園台地を灌漑する農業
水路の桃園大■(たいしゅう)の調査設計を行い一九一六年に着工、
一九二一年に完成しましたが、灌漑面積は三万五千町歩でありまし
た。これが今日の石門ダムの前身であります。

 この工事の途中から旧台南州嘉南大■水利組合が設立され、八田
氏は総統府を退職して組合に入り、十年間をその水源である烏山頭
貯水池事務所長として、工事実施に携わりました。嘉南平野十五町
歩を灌漑するために、北に濁水渓幹線、南に烏山頭ダム幹線の二大
幹線を築造し、曽文渓からの取水隧道によってダムに一億六千万ト
ンの貯水を行ったものであり、土堰堤築造工法としてセミハイドロ
リックフィル(反射水式)工法が採用されました。

 この工事の完成によってほとんど不毛のこの地域十五万町歩に毎
年八万三千トンの米と甘蔗=サトウキビ=その他の雑作が収穫され
るようになりました。

 その時分では東洋一の灌漑土木工事として、十年の歳月と(当時
のお金で)五千四百万円の予算で一九三〇年にこの事業を完成した
ときの八田氏はなんと、四十四歳の若さでありました。嘉南大■の
完成は世界の土木界に驚嘆と称賛の声を上げさせ、「嘉南大■の父」
として六十万の農民から畏敬の念に満ちた言葉で称えられました。

 八田與一氏への恩を忘れないようにしたのは何でしょうか? 古
川勝三氏の著作からの引用ですが、八田與一があの若さでこの偉大
な仕事を通じて台湾に残したものが三つあると思います。

 ひとつは嘉南大■。不毛の大地といわれた嘉南平野を台湾最大の
穀倉地帯に変えた嘉南大■を抜きにして八田氏は語れません。二つ
目は八田氏の独創的な物事に対する考え方です。今日の日本人が持
ち得なかった実行力と独創性には目を見張るものがあります。三つ
目は八田氏の生き方や思想は、我らに日本的なものを教えてくれま
す。

 これら諸点について具体的な諸事実を並べて話しましょう。

51. ふぉっくす 2002/11/20(水) 08:50:08
続き…その4

一、まず嘉南大■の特徴についてみましょう。(1)灌漑面積は
十五万町歩、水源は濁水渓系統五万二千町歩、烏山頭系九万八千町
歩。灌漑方式は三年輪作給水法(2)烏山頭ダムの規模、堰堤長千
二百七十三メートル、高さ五十六メートル、給水量一億五千万トン、
土堰堤はセミハイドロリックフィル工法採用(3)水路の規模、給
水路一万キロ、排水路六千キロ、防水護岸堤防二百二十八キロ。

 このような巨大な土木工事をわずか三十二歳で設計に取りかかり、
三十四歳で現場監督として指揮をした八田氏の才能には頭が下がり
ます。戦後の日本における近代農業用水事業の象徴である愛知用水
の十倍を超える事業なんだと考えれば、うなずけるものと思います。
そして烏山頭は東洋唯一の湿地式堰堤であり、アメリカ土木学会は
特に「八田ダム」と命名し、学会誌上で世界に紹介したものです。

 しかし嘉南大■が完成しても、それですべてが終わったというわ
けにはいきません。ハードウエアは完成しましたが、それを維持管
理し有機的に活用するためのソフトウエアが大切です。農民はその
大地を使って農作物を作り、生産力を上げなければ嘉南大■は生き
たものになりません。農民への技術指導が連日、組合の手によって
繰り返されました。その甲斐あって三年目には成果が顕著になって
きました。かくして不毛の地、嘉南平野は台湾の穀倉地帯に変貎を
遂げたのです。

 その成果には(1)農民が被る洪水、干魃、塩害の三重苦が解消
したこと(2)三年輪作給水法によって全農民の稲作技術が向上し
たこと(3)買い手のない不毛の大地が給水によって地価が二倍、
三倍の上昇を招き、全体では九千五百四十万円もの価値を生んだ。
この金額は当時の全工事費を上回る金額であった(4)農民の生活
はこれによって一変し、新しい家の増築や子供の教育費に回す余裕
がでてきた−ことがあげられます。

 二、次は八田氏の独創的なものの考え方を述べなければなりませ
ん。以上述べた嘉南大■の巨大な工事に対して、当時として常識は
ずれの独創的方法が採用されました。

 その一つはセミハイドロリックフィル工法の採用です。この方法
は東洋では誰もてがけたことがなく、アメリカでさえもこのような
大きな規模の工事では採用されていなかった。この工法を採用した
のには、それなりの理由がありました。

52. ふぉっくす 2002/11/20(水) 08:52:17
続き…その5

まず地震です。この地帯は断層があちこちに発生しており、地震
強度は六度以上もあります。この工法は粘土による中心羽金層を堰
堤の中心に造り、浸透水を遮断して堰堤に決壊を防ぐアースダム方
式です。この工法を遂行するには、三百トンの大量の土砂と中心羽
金層を造る微細な粘土を必要としますが、この地域ではこれを供給
する場所がありました。

 この未経験の工法を採用するに当たり、徹底的な机上の研究とア
メリカ視察を行いました。そして、この工法の採用と設計が間違い
でない確信を持って工事にとりかかったのです。またコンクリート
コアの高さと余水吐をめぐって、セミハイドロリックフィルダムの
権威者ジャスチンと大論争しますが、自説を譲らず、設計どおりに
構築しました。七十年経過した今日でも、堰堤は一億トン以上の水
を堰とめて、八田ダムの正確性を証明しています。

 二つ目は大型土木機械の使用です。労働力のあまっている時代と
しては常識はずれでした。大型機械の使用については組合や当時の
請負業者が反対していました。購入予算は四百万円に達し、堰堤工
事と烏山頭隧道工事費の25%にあたります。

 八田氏の意見は、これだけの堰堤を人力で造っていては十年どこ
ろか二十年かかってもできない。工期の遅れは十五万町歩の土地が
不毛の土地のまま眠ることになる。高い機械で工期が短縮できれば、
それだけ早く金を生む。結果的には安い買い物になる−というもの
でした。この考え方は当時としては偉大な見識と英断と見なければ
いけないでしょう。これら大型土木機械はその後の基隆港の建設と
台湾開発に非常な威力を発揮しました。

 三つ目は烏山頭職員宿舎の建設です。「よい仕事は安心して働け
る環境から生まれる」という信念のもとに、職員用宿舎二百戸の住
宅をはじめ、病院、学校、大浴場を造るとともに、娯楽の設備、弓
道場、テニスコートといった設備まで建設しました。

 それ以外にまたソフトウエアにも気を配り、芝居一座を呼び寄せ
たり、映画の上映、お祭りなど、従業員だけでなく家族のことも頭
に入れて町づくりをしています。工事は人間が行うのであり、その
人間を大切にすることが工事も成功させるという思想が、八田氏の
考えでした。

53. ふぉっくす 2002/11/20(水) 08:53:47
続き…その6

四つ目は三年輪作給水法の導入です。十五万町歩のすべての土地
に、同時に給水することは、一億五千万トンの貯水量を誇るとはい
え、烏山頭ダムと濁水渓からの取水量だけでは、物理的に不可能で
した。ならば当然その給水面積を縮小せざるを得ないと考えるのが
普通ですが、八田氏の考えは違っていました。土木工事の技術者は
ダムや水路を造りさえすれば、それで終わりであると八田氏は考え
なかったのです。

 ダムや水路は農民のために造るのであれば、十五万町歩を耕す農
民にあまねく水の恩恵を与え、生産が共に増え、生活の向上ができ
て初めて工事の成功であると考えていました。そのためには、十五
万町歩の土地に住むすべての農民が、水の恩恵を受ける必要がある。

 そしてそのためには、すべての土地を五十町歩ずつ区画し、百五
十町歩にまとめて一区域にして、水稲、甘蔗、雑穀と三年輪作栽培
で、水稲は給水、甘蔗は種植期だけ給水、雑穀は給水なしという形
で、一年ごとに順次栽培する方法を取りました。給水路には水門が
つけられ、五十町歩一単位として灌漑してきたのです。

 最後に、雄大にして独創的工事を完成させた八田與一とはどんな
人だったのか、そこに焦点を当てて考えてみましょう。

 八田與一氏は技術者として抜群に優れていたばかりでなく、人間
としても優れていました。肩書や人種、民族の違いによって差別し
なかったのです。天性ともいえるかもしれませんが、これを育んだ
金沢という土地、いや日本という国でなければかかる精神がなかっ
たと思います。

 嘉南大■の工事では十年間に百三十四人もの人が犠牲になりまし
た。嘉南大■完成後に殉工碑が建てられ、百三十四人の名前が台湾
人、日本人の区別なく刻まれていました。

 関東大震災の影響で予算が大幅に削られ、従業員を退職させる必
要に迫られたことがありました。その時、八田氏は幹部のいう「優
秀な者を退職させると工事に支障がでるので退職させないでほしい」
という言葉に対し、「大きな工事では優秀な少数の者より、平凡の
多数の者が仕事をなす。優秀なものは再就職が簡単にできるが、そ
うでない者は失業してしまい、生活できなくなるではないか」とい
って優秀な者から解雇しています。

54. ふぉっくす 2002/11/20(水) 08:55:44
続き…その7

八田氏の人間性をあらわす言葉でしょう。八田氏の部下思いや、
先輩や上司を大事にすることでは、数え切れないほどエピソードが
あります。

 八田氏は一九四二年三月、陸軍からの南方開発派遣要求として招
聘されます。その年の五月七日、一四、〇〇〇トンの大型客船「大
洋丸」に乗ってフィリピンへ向かう途中、アメリカ潜水艦の魚雷攻
撃に遭い、大洋丸が沈没。八田氏もこのため遭難しました。享年五
十六歳でした。妻の八田外代樹は三年後、戦争に敗れた日本人が一
人残らず(台湾から)去らねばならなくなったときに、烏山頭ダム
の放水口に身を投じて八田氏の後を追いました。御年四十六歳でし
た。

 私の畏友、司馬遼太郎氏は「台湾紀行」で、八田氏について、そ
のスケールの大きさをつぶさに語りつくしています。

 私は八田與一によって表現される日本精神を述べなければなりま
せん。何が日本精神であるか。八田氏の持つ多面的な一生の事績を
要約することによって明瞭になります。

 第一のものは、日本を数千年の長きにわたって根幹からしっかり
と支えてきたのは、そのような気高い形而上的価値観や道徳観だっ
たのではないでしょうか。国家百年の大計に基づいて清貧に甘んじ
ながら未来を背負って立つべき世代に対して、「人間いかに生きる
べきか」という哲学や理念を八田氏は教えてくれたと思います。
「公に奉ずる」精神こそが日本および日本人本来の精神的価値観で
ある、といわなければなりません。

 第二は伝統と進歩という一見相反するかのように見える二つの概
念を如何にアウフヘーベン(止揚)すべきかを考えてみます。現在
の若者はあまりにも物資的な面に傾いているため、皮相的進歩にば
かり目を奪われてしまい、その大前提となる精神的な伝統や文化の
重みが見えなくなってしまうのです。

 前述した八田氏の嘉南大■工事の進展過程では、絶えず伝統的な
ものと進歩を適当に調整しつつ工事を進めています。三年輪作灌漑
を施工した例でも述べたように、新しい方法が取られても、農民を
思いやる心の中には伝統的な価値観、「公議」すなわち「ソーシャ
ル・ジャスティス」には些かも変わるところがありません。まさに
永遠の真理であり、絶対的に消え去るようなことはないものです。
日本精神という本質に、この公議があればこそ国民的支柱になれる
のです。

55. ふぉっくす 2002/11/20(水) 08:56:35
続き…その8

第三は、八田氏夫妻が今でも台湾の人々によって尊敬され、大事
にされる理由に、義を重んじ、まことを持って率先垂範、実践躬行
する日本的精神が脈々と存在しているからです。日本精神の良さは
口先だけじゃなくて実際に行う、真心をもって行うというところに
こそあるのだ、ということを忘れてはなりません。

 いまや、人類社会は好むと好まざるとにかかわらず、「グローバ
ライゼーション」の時代に突入しており、こんな大状況のなかで、
ますます「私はなにものであるか?」というアイデンティティーが
重要なファクターになってきます。この意味において日本精神とい
う道徳体系はますます絶対不可欠な土台になってくると思うのです。

 そしてこのように歩いてきた皆さんの偉大な先輩、八田與一氏の
ような方々をもう一度思いだし、勉強し、学び、われわれの生活の
中に取り入れましょう。

 これをもって今日の講演を終わらせてもらいます。ありがとうご
ざいました。

56. みやもとさん 2002/11/20(水) 11:08:33
NFのやつに閣下を呼ぶように言ってみたことはあるんだけどさあ、
どうも乗り気でないのよね。
だから上でも誰かが言っているように適当な組織でっち上げて〜ってのには
賛成よん。
来年目指してやってみたらどうよ。場所は兄弟会館か、
京都国際会館あたりでさ。

57. 台湾について語るなら 2002/11/20(水) 14:04:54
「台湾/日本 連鎖するポストコロニアリズム」(森宣雄、インパクト出版会)も読んでおかないと、きちんとした議論もできないよ。小林よしのりだけではあまりにも情報源が狭すぎ。

58. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/20(水) 14:34:20
ふぉっくすは神。

非常に面白い講演内容だった。農学者でもある李登輝氏の
良さが出た文章だった。

59. 似非理系 2002/11/20(水) 16:58:26
>小林よしのりだけではあまりにも情報源が狭すぎ。
小林よしのりなんて誰も持ち出していませんが何か?

>1万人の署名より、一人の有名人を味方に付けた方が圧倒的に有利だ。
それは確かにあると思う。特に京大なら相当なビックネームが賛同してくれそう。
そういえば、以前の李氏来日の際、京大医学部&京大病院が来日を求める署名を
集めていたような?
(記憶あやふや&正確なソースがない。不明確なソースなら
www.tokyoyoyo.net/reader_paper/ota_newyear.htmがあった)
だから、医学部OB(楽友会)が協力してくれるかもしれないし、
同窓会単位の協力が無理でも、個人でなら支援してくれそうな教授が
医学部のみならず全学合わせれば結構な数になると思う。

60. 講演の原稿も読めたことだし 2002/11/20(水) 17:10:09
もう呼ばなくていいのではないか?

61. あきらめムード 2002/11/20(水) 23:25:53
>ふぉっくす
良い物を見せてもらった。感謝する。
我々の国の先覚者について、これほどの熱をもって語ることの出来る
異国の人がいることは、この上無い喜びである。
そして、我々がこのような優れた先覚者の存在を、
わざわざ異国の人を呼んで聞かねばならないのはこの上無く悲しい。
日本に偉大な先達がいないわけではない。
ただ、我々が忘れてしまい語ることが出来ないだけなのだ。

62. ↑(1) 2002/11/21(木) 09:20:13
<ただ、我々が忘れてしまい語ることが出来ないだけなのだ。>
それだけの理由ではない。李登輝氏が語られたような高潔の日本人技術者、日本人は程度の差こそあれ、かつて実在していた。それらが広く語られないのは、日本帝国主義を美化するものとして、暗黙の規制や、関係国への配慮がなされたためである。私は右翼でも左翼でもない平凡な一学生だが、旧日本軍の蛮行ばかりが問題にされる今日、かつての列強の植民地政策と日本のそれとの違い、及び、日本の植民地政策の歴史的功罪を、冷静に、科学的に検証する必要性を痛切に感じている。
(2)は日本の中国本土での事業の一例である。

63. ↑(2) 2002/11/21(木) 09:23:16
<橋梁実績>   
1936 鬼怒川橋(鉄道省)、液河橋(満州国)他    
1937 上路鈑桁49連(鉄道省)他    
1938 上路鈑桁6連(鉄道省)、南満州鉄道40連他    
1939 鈑桁120連(南満州鉄道)、鈑桁20連(華北交通)、鈑桁7連(朝鮮鉄道)  
1940 勝鬨橋(東京)、鈑桁26連(鉄道省)、鈑桁30連(南満州鉄道)他 1941 鈑桁25連(南満州鉄道)      
1943 鈑桁7連(朝鮮鉄道) 
 
<鞍山鉄鋼業>(現在は施設の老朽化が進んでいるらしが)

(少し説明すると)
1940年代から1950年代前半までの時期は「満洲国」の崩壊から、ソ連軍の中国東北進駐、国共内戦、社会主義中国建設と続く激動期である。鞍山鉄鋼業は、日本によって建設された昭和製鋼所( のちの満洲製鉄鞍山本社、鞍山鋼鉄公司) を中心としていた。とくに昭和製鋼所は、戦前日本帝国の勢力圏で第2位の生産規模を誇り、戦後の社会主義中国でも長い間、首位の地位を保っていた。鞍山製鉄所では1940年代の深刻な戦争被害と内戦によって施設の破壊と建設が繰り返された。しかし、新中国ではソ連の援助を待たずに、わずか3 〜4 年で急速な戦後復興を遂げている。これには、戦時と戦後の企業の連続性の問題を考察しなけれはならない。製鉄所の運営には資材や機器、原料という物的条件のみならず、設計、建設、操業に係わる専門知識や経験が必要である。戦後の鞍山での工場再建・復興のために必要な人的資源、 すなわち技術的知識や労働力が、体制の違いを越えて「効率的」に継承されたのである。すなわち残留日本人技術者である。この問題に対して関心が希薄である原因は、「満洲国」と新中国を断絶してとらえることが当然視され、連続性を主張することは日本帝国主義を美化することになると、暗黙の規制が働いていたためである............

64. ふぉっくす 2002/11/21(木) 11:39:05
「日本李登輝友の会」が発足するらしいです。

「日本李登輝友の会」の成立に関連して

 (月刊日本12月号掲載予定)     在日台湾同郷会 会長 林 建 良

 日本人は戦前台湾に実施した植民地政策に触れると、申し訳なさそうな顔をして謝
る。「植民地政策」イコール「悪」との固定観念があるからだ。しかし、『台湾人と
日本精神』の著者である蔡焜燦氏は、「台湾人にとって、許せないのは戦前の日本で
はなく、戦後の日本なのだ」といった。蔡焜燦氏と同じ年代の台湾人の多くは、戦前
の日本を師として評価し尊敬している。台湾人の親日感情はそこから生まれた。しか
し、その日本政府は、戦後の台湾人が見舞われた悲惨な運命に全く無関心だった。

 戦後の台湾は蒋介石に接収され、中国から来た占領軍は土匪のように台湾人の財産
を奪い、資源を根こそぎ略奪した。この略奪政策によって台湾の経済はたちまち破綻
し、4万倍のインフレとなった。その暴政に耐えかねる民衆の怒りが爆発したのが、
1947年の228事件である。それを機に蒋介石は援軍を送り、知識人を中心とな
る台湾人エリート約3万人を虐殺し、台湾の指導層を一気に抹殺した。その後、40
年も台湾は白色テロと呼ばれる恐怖政治の下に喘いだ。その間、軍、警察、特務に連
行され、消息不明になった台湾人は数十万人にのぼる。

 戦後処理の総決算であるサンフランシスコ平和条約の中で、日本は台湾に対する主
権を放棄したが、台湾の帰属には一切言及されなかった。そして、サンフランシスコ
平和条約が発効した翌年の1952年に、日本は中国を追われて台湾に逃げ込んだ蒋
介石政権と日華平和条約を結び、台湾人を大量虐殺した蒋介石政権の台湾統治を容認
した。1972年の日中国交正常化以降、日本は一転して中国一辺倒となり、いくら
台湾が国際社会で中国に圧迫されても、台湾のために発言することはなかった。日本
にとって、台湾は忌まわしい私生児のような存在になった。これが、蔡焜燦氏が言う
許せない戦後の日本なのではなかろうか。

65. ふぉっくす 2002/11/21(木) 11:40:40
続き…。

しかし、それでも台湾は親日国家といわれている。実際、戦前生まれの台湾人の
日本に対する好意は偽りのない自然なものである。私は20年前、台北の中山北路に
あるキリスト教病院で仕事をしていた。病院の近くの路地にスナックが立ち並び、日
本人観光客でにぎわっていた。当時の私は、ほぼ毎晩酔っ払っている日本人を目にし
た。中には大声で歌いながら歩く人もかなりいた。しかし、そのようにふるまう日本
人に台湾人は、日本語で声をかけたりして寛大な心で見守っていた。それが民間の対
日感情なのだ。戦後世代の私は、なぜ台湾人がそこまで日本人に好意的なのか、とし
ばしば不思議に思った。戦後の台湾では、蒋介石政権によって中国と同様の反日教育
が施されているが、家庭内の影響もあって、戦後世代の台湾人は教育通りに反日的に
なっていない。しかし、日本に対する理解と関心は確実に薄くなり、親日的な雰囲気
は消えつつある。台湾人の親日感情は、反日教育を受けていない戦前世代の台湾人に
よるものが大きかったからだ。日本教育を受けた戦前世代の台湾人は約150万人い
るが、ほとんどが70代以上になっており、台湾社会に対する影響力も衰退している。
十年後の台湾では日本語世代は完全に第一線から消えてしまい、その時の台湾は反日
国家にならなくても、今のような親日国家であり続けることはなかろう。

66. ふぉっくす 2002/11/21(木) 11:41:24
続き…その2

これまでの日台交流は民間が主流で、政府間の接触は必要最小限に限られている。
しかし、民間交流のベースとなる台湾の日本語世代が引退した後の受け皿を見いだせ
ないことを、日台双方の有識者は危惧している。それでも日本政府は、台湾との政府
間交流をかたくなに拒否している。先般、前外務政務官水野賢一氏の政務官としての
訪台が外務大臣に拒否されたことは、まさに日本政府の台湾に対する態度を示してい
る。外務大臣に抗議して政務官を辞任した水野賢一議員は、その後台湾を訪れ、水野
旋風を起こしたとも言えるほど注目された。水野議員が台湾で受けた英雄に対するよ
うな歓迎ぶりは、裏を返せば、台湾人の日本政府に対する不満の表れでもあるのだ。
中国に対する配慮から、台湾と距離を置きたい日本政府の打算は、理解できないこと
もないが、戦後生まれの世代が政権を担う現在の台湾では、日本の都合だけで決定さ
れる屈辱的な日台関係に不満が高まっている。台湾の日本語世代の温情に頼る日台交
流は、もう限界に来ているのだ。しかし、それでも台湾の日本語世代は、台湾と日本
双方にとって、なくてはならない存在である。台湾精神と日本精神を兼ね備えた彼ら
は、日台間の接着剤であり、かけ替えのない宝なのだ。日台間の永続的かつ堅実な関
係を築くことは、台湾の日本語世代の最後の事業になっている。実際、その代表的人
物である李登輝前総統は、身を燃え尽くすほど、日本と台湾の将来のために尽力して
いる。その両国関係を憂える姿に感激してい人々は、台湾と世界の各地で「李登輝友
の会」を立ち上げ、台湾精神と日本精神の象徴である李登輝精神を掲げ、その下で連
帯して日台関係を再生させる気概で奮起している。

 そのような動きに触発されて「日本李登輝友の会」が来る十二月十五日に東京で成
立する運びとなった。設立趣意書に「台湾では日本語世代の高齢化が進み、世界一の
親日国も徐々にその様相を変え、反日教育を受けた世代が台湾社会の中枢を占めつつ
あります。そこで、日本留学経験者や知日家などが大同団結して、民間の力で台湾と
日本の交流を進めることなどを目的とした組織が発足しようとしています。」と記さ
れている。これは正に、日台共同で取り組まなければならない核心的問題ではなかろ
うか。更に「日本李登輝友の会」は、以下の事業を実行すると趣意書で宣言している。

67. ふぉっくす 2002/11/21(木) 11:44:04
続き…その3

一、文化交流を主とした新しい日台関係を構築するため、日本と台湾の交流の歴史を
振 り返って問題点を明らかにし、その是正に向けた提言を機関誌や講演活動などを
通じて発表する。

二、李登輝前台湾総統の来日を関係各所に働きかけ、李前総統念願の「奥の細道」散
策を実現す る。

三、この目的を達成するため、全国に支部を設けるとともに、本会の趣旨に賛同する
日 台の友好団体、国会議員、地方議員と協力関係を結び、新日台関係の構築に必要
なあらゆる活動を積極的に展開する。

以上の事業を成功させ、「日本李登輝友の会」が日台関係の再構築の原動力になるこ
とを願っている。

12月15日に予定される「日本李登輝友の会」設立総会への参加は、日台両国が愛する人なら、どなたでも可能です。

参加方法を近日中公表致します。


以上ですが、この団体を見方につけた方が話が早い気がします。

誰か東京まで行ける人って居ない?

68. ↑同感。 2002/11/21(木) 11:46:31
キム・ワンソプのような韓国の作家も出現してきている。
一番の問題は中国側の歴史認識。
アプローチに弁証法も帰納法も許されず、最初から共産党の歴史認識=中国人民の歴史認識に固定されていて、自由な議論が出来ない。
党と異なる見解を歴史問題で行えば、その地位と影響力に比例して罰せられる。

69. ふぉっくす 2002/11/21(木) 12:01:15
主催者へ一般参加枠についてメールしたところ、

下記のメールが届きました。


ふぉっくす さんへ

一般の参加枠は別に設けていませんが、12月7日締め切りで、全部で1000名の
予定です。(会場は1500まで入れますが)締め切りまでの先着順です。


場所はホテルオオクラ

午後3時から8時


     林 建良(りん けんりょう)拝


先着順だそうなので、応募方法が決まったら、ここにもアップします。

70. あきらめムード 2002/11/21(木) 18:14:33
>↑(1) 2002/11/21(木) 09:20:13
>かつての列強の植民地政策と日本のそれとの違い、
>及び、日本の植民地政策の歴史的功罪を、
>冷静に、科学的に検証する必要性を痛切に感じている。
それは確かに必要なことだが、あなたは日本以外の列強も
植民地で大規模なインフラ整備を行っていたことを御存知ないのだろうか?
有史以来、分裂を思考してきたインド亜大陸のヒンドゥー地域が統一国家足りえてるのは、
イギリスが植民地時代に鉄道網を張り巡らしたからである。
例があまりにも多すぎていちいち取り上げられないが、
アジア・アフリカ地域の大都市は植民地時代に開発されたものが多く、
灌漑事業、交通機関の整備、社会福祉の充実など、
植民地支配以前の現地人政権では着手すらされなかった事業が、
列強の手によって成し遂げられた例は枚挙に暇は無い。
未開の地でのインフラ整備には当然、重大な困難が伴う。
その困難を克服したのは、この時代で最も有能で高潔な技術者であった。

彼らの事業は現在でも、現地の人々に多大な恩沢をもたらし、
一部の民族主義が強い地域を除けば、彼らの名は偉人として顕彰され続けている。
それでもなお、多くの旧植民地人は、植民地支配を汚辱の歴史として記憶している。
恩も恨みもあるが、恨みのほうが大きいからこそ、そういう結果になっているのだ。

台湾の例は、上に児玉源太郎、後藤新平といった、日本史にも不朽の名を刻む偉大な指導者がおり、
下に八田氏のような優れた才能と高い人格を兼ね備えた人物が実務に携わり、
植民地支配終焉後に空前絶後ともいえる国府の圧制があったという、
極めてまれな偶然の賜物であることを忘れてはならない。

71. あきらめムード 2002/11/21(木) 18:22:13
分からないとは思わないが、一つだけ付け加えておく。
日本を始めとする列強が植民地に多大な投資を行ったのは、
善意の事業ではなく、より多くの収益をあげようと思ったからである。
採算が合わないからと中止を勧告する上層部と、
現地人と苦楽を共にしていくうちに、現地への思い入れが強くなり、
採算を度外視しても彼らの未来を開くために事業を続けようとした実務担当者の葛藤は、
この時代の植民地では多く見られた光景である。

72. 2002/11/21(木) 18:24:31
勿論承知している。もっと広い意味で言ったつもりだ。

73. あきらめムード 2002/11/21(木) 18:54:12
>それらが広く語られないのは、日本帝国主義を美化するものとして、暗黙の規制や、関係国への配慮がなされたためである。
この問題については出来る限り触れたくなかったが、
あなたが言及してしまった以上避けて通るわけにはいかないだろう。
大ざっぱに言うと、植民地支配には多様な面があった。

19世紀半ばから、第二次世界大戦開始に至るまで、
アジア・アフリカ地域における偉大な探検事業、建設事業の多くは、
植民地支配の必要上から行われたものであった。
また、列強は労働力の質的向上・行政の円滑化を図るために教育制度の整備を行い、
現地人エリートに本国のエリートと同等の高等教育を施した。
字が読めるようになった人々は植民地の近代化を様々な面で支え、
高等教育を受けたエリートは独立運動や、独立後の政府の中核を担うこととなった。
いずれも、東洋の専制王権やアフリカの部族政権には成し得なかった事である。

負の面については、伝統的共同体の破壊、土地や財産の収奪、
使い捨ての労働力として自国の人間にはさせられないような労働を強いたこと、
自国人と一部の現地人を支配階級、その他の現地人を被支配階級とする不公平な社会を作り上げ、
長く社会的・経済的自由を制限し続けたこと。
列強の手によって近代化を成し遂げたために国内の矛盾を克服しきれず、
独立後も封建的な体質を抱えたままで主権国家としての道を歩まざるを得なかったこと。

あまりに多くの影響を後世にもたらしたため、
植民地支配に対する冷静な歴史的判断はひじょうに難しいものとなっている。
プラスの面だけをあげて「植民地支配は良いことだった」とすることもできるし、
マイナスの面だけをあげて「植民地支配は悪いことだった」とするのも簡単だ。
しかし、良い悪いの白黒だけで決まるのが歴史ではない。
灰色の部分が多く存在することを踏まえたうえで、
自分自身の価値判断に基づいた答えを出していくべきであろう。

ちなみに私の個人的な見解は
「良いことも悪いこともあったが、後世に残した悪影響があまりに大きすぎるので、肯定はできない」
というものである。

74. だからぁ  2002/11/22(金) 14:13:21
結局、俺たち戦後の若者世代は、その時代の尊敬できる先達や誇りに思える日本人のことを知らされずに、どっちかと言えば、愚かな、野蛮な日本人ばかりを教えられてきたということだろう? 身近な時代の日本人像がすっぽり抜けてる訳だ。

75. あきらめムード 2002/11/22(金) 21:33:41
>だからぁ
>結局、俺たち戦後の若者世代は、その時代の尊敬できる先達や誇りに思える日本人のことを知らされずに、
>どっちかと言えば、愚かな、野蛮な日本人ばかりを教えられてきたということだろう?
>身近な時代の日本人像がすっぽり抜けてる訳だ。
そういうことになる。あの戦争を否定するために、
先立つ時代の人々をも否定する風潮がこれまではひじょうに強かった。
日本人が愚かで野蛮な人々ばかりだったから、あのような戦争が起きたわけではない。
高潔で優れた人々があの時代の日本にも大勢いた。
名も無い人々も戦場では後世まで語り継がれる敢闘精神を発揮し、
戦争が終わると銃を捨てて今日の繁栄を築き上げた。
彼らの光芒を子孫に語り継ぐことが、あの戦争を賛美することと同義であるという考えが、
あの時代の人物について肯定的に語ることをタブーとしてしまった。
近年、彼らへの再評価が進んでいることは喜ばしいことである。

しかし、
「あの時代の日本にはこんな立派な人物がいた。
 だから、あの時代の日本は立派な国だったのだ」
という文脈でそれが語られるのならば。
「あの時代の日本にはこんな野蛮な人間ばかりだった。
 だから、あの時代の日本はあんな愚かな戦争をしたのだ」
というこれまでの戦後史観と何ら変わることは無い。
ただ、表裏を引っくり返しただけで、
良い悪いの二元論で過去を判断する愚を繰り返すだけである。

あの戦争を否定的に捉えるのならば、
立派な人物、優秀な国民が大勢いたことも考慮に入れた上で、
何故自国と他国に巨大な惨禍を残した戦争を起こしてしまったのか考えるべきである。
肯定的に捉えようとするならば、
自国民と他国民に塗炭の苦しみを強いたことも考慮に入れた上で、
それでもなお、追い詰められた日本が戦争に踏み切るべきだったのかどうか考えるべきである。

いずれにせよ、「全部良かった」「全部悪かった」という態度は思考停止に等しいものであり、
誠実に歴史に向き合おうとするならば、厳に慎むべきである。

76. 2002/11/23(土) 01:17:18
最近の官僚や邦銀の経営者を見ていると、
どうしても当時の軍参謀と重なってしまう。
愛国心なんてあったのか、と。
自分の面子しか考えていなかったのではないか、と。
(割腹自殺した将校たちは除いて)

77. 2002/11/23(土) 15:26:54
 あるのは自己保身と面子と欲だけだとは思いたくないが。
 以前、食料管理かなにかの役人の話だが、(戦中か戦争直後か、
ヤミ米を取り締まる職に就いていたのか、細かいことは忘れた。)
ひどい食料難のなか、人が見かねてヤミ米の購入を勧めたところ、
自分の職務上、がんとして聞き入れず、結局餓死してしまった人の
話を聞いたことがある。
 それを聞いたとき、良い悪いは別にして、自分の職務への潔さというか、
高潔な魂というのか、涙が出てきた。 こんな人もいたんだ。

78. あきらめムード 2002/11/23(土) 16:20:14
>以前、食料管理かなにかの役人の話だが、(戦中か戦争直後か、
>ヤミ米を取り締まる職に就いていたのか、細かいことは忘れた。)
>ひどい食料難のなか、人が見かねてヤミ米の購入を勧めたところ、
>自分の職務上、がんとして聞き入れず、結局餓死してしまった人の
>話を聞いたことがある。
ヤミ米の購入を断って亡くなったのは、東京地裁の山口良忠判事。
山口判事はヤミ米関係の刑事裁判を担当していたが、昭和22年の8月に栄養失調で倒れた。
周囲にヤミ米を食べて栄養をつけるように勧められたが固辞し、10月に33歳の若さで亡くなった。
なお、山口判事は京大法学部卒で、我々の先輩にあたる方である。

79. あきらめムード 2002/11/23(土) 16:35:44
書き忘れがあった。連続レスで見苦しいが、ご容赦願いたい。

山口判事の高潔さは素晴らしいものであるが、
同じ時代をヤミ米を食らい、泥水を啜って生き延びた人々が
今日の日本を築き上げたことも決して忘れてはならない。
渇しても盗泉の水を飲まず、誇り高く逝った山口判事の偉大な魂は不朽であるが、
ヤミ米を食べてでも明日を生きようとした人々の功績もまた、不朽である。

80. あきらめムード 2002/11/23(土) 17:13:51
>↑ 2002/11/23(土) 01:17:18
>最近の官僚や邦銀の経営者を見ていると、
>どうしても当時の軍参謀と重なってしまう。
>愛国心なんてあったのか、と。
>自分の面子しか考えていなかったのではないか、と。
色々な人物がいたであろうことは、想像に難くない。
しかし、最も愛国心に富み、私心無く職務に邁進した人物が、
最も品性陋劣な人物以上に国家に損害を与えた例は歴史上でも数限りなくある。
軍参謀も、官僚も、経営者も、多くの人間の人生を預かっている以上、
「仕事は失敗に終わったが、高潔で立派な人物だったから許される」で片付けてはならない。
指揮する軍が敗れ、国政を破綻させ、会社を破綻させたのならば、
その意図と人物に関わらず、厳しく断罪されてしかるべきである。
そうでなければ、死地に追いやった兵士、
路頭に迷わせた社員などへの責任を取ることなどできないのである。

81. 名無し1号 2002/11/24(日) 06:10:24
李登輝先生を呼ばんとする有志諸君に告ぐ

私は事情により、オフでの協力はできかねるが、
WEB上における協力は惜しまない者である。

私は京大学内において想像されるいくつかの困難について、
あなた達に助言できるだけの知識と経験を有している。
質問に関する返答、あるいはこのスレを続けていく中で
浮かび上がった疑問に関してレスするという形で協力していきたいと思う。

82. Tri 2002/11/24(日) 17:04:51
>↑×3
賛成。
わたしたちは、生き恥をさらした人が作り上げた繁栄の
中に暮らしていることを忘れてはいけませんね。
「まず生きる」というのは、とても大切なことだと思う。

83. ははあ 2002/11/24(日) 21:09:29
君ら右翼?

84. あきらめムード 2002/11/24(日) 21:11:59
>ははあ
李登輝先生ほどの知名の士の話を一度聞いてみたいと思うのが、なぜ右翼なのだね?
説明してもらおうか?

85. >名無し1号 2002/11/24(日) 21:55:12
>私は事情により、オフでの協力はできかねるが、
>WEB上における協力は惜しまない者である。
いらねえよ。役に立たないから。

>私は京大学内において想像されるいくつかの困難について、
>あなた達に助言できるだけの知識と経験を有している。
まあ、妄想だろうけど。

やれやれ、迷惑な。

86. ははあ 2002/11/25(月) 18:04:58
>あきらめムード
だって李登輝って小林よしのりが信奉してるし。
従軍慰安婦はなかったとか言いたいんでしょ?
まー右翼ってことの説明にはならんかもしれんけど
そっち系だと思う。

87. 2002/11/25(月) 18:36:50
なんとも乱暴な理屈ですね(w ほんとに京大生ですか?
AはBを尊敬している。
CもBを尊敬している。
AとCは同類である。

88. 2002/11/25(月) 18:40:15
従軍慰安婦はA新聞と某団体が中心になってつくった
まがいものだということはすでに証明されているよ。
(第一これ90年代になってからだよ。出てきたの)
当時はただの慰安婦と呼ばれていた。

89. 落ち武者 2002/11/25(月) 19:03:47
↑証明のソースは?

90. 入り浸り [E-Mail] 2002/11/25(月) 20:12:19
>名無し1号

んむ。せっかくだから協力してほしいねえ。
まずは、大学当局はもしも京大で講演を行うとなれば
それを許可するだろうか?これを教えてくれるか?

91. 名無し1号 2002/11/25(月) 20:33:52
>入り浸り
おそらくは許可されないだろう。
李先生を招聘するに当たっては様々な圧力が予想されるが、
それを跳ね返してまで許可するメリットは、事なかれ主義の京大当局には存在しない。
ただ、様々な圧力を京大当局に変わって跳ね返せる「強い誰か」がいれば、
許可を得られる可能性はわずかにある。

92. あきらめムード 2002/11/25(月) 22:55:48
>ははあ
>だって李登輝って小林よしのりが信奉してるし。
>従軍慰安婦はなかったとか言いたいんでしょ?
>まー右翼ってことの説明にはならんかもしれんけど
>そっち系だと思う。
君は私の過去の書き込みを読んだ上で、そう発言しているのだろうか?
読んでいたとしたら、私が小林氏らと異なる考え方を持っていることは理解してもらえると思うのだが。
好奇心から有名な政治家である李登輝氏の話を聞いてみたいと思うのは、
そんなに非難されてしかるべきことなのだろうか?

君は李登輝氏が京大に来ることに強い反発を感じているようだが、
そんなに嫌なのなら私や他の人を攻撃するのでは無く、
李登輝氏を呼ぶのに反対する議論を展開してもらいたい。

93. 老人 2002/11/26(火) 01:04:25
>>小林よしのりが信奉してるし
スローフード運動とかも右翼の差し金ですか。
特に、最近の小林は反米になって再びサヨク的なものにシンパシーを抱いているぞ。

>従軍慰安婦はなかったとか言いたいんでしょ?
そのようなことは言ってないと思いますが。
「従軍」慰安婦ではなかったとは言ったかもね。

>そっち系だと思う。
どっち系?

右翼でも、トロツキーやゲバラは人気がある。
李登輝クラスの政治家だと呼ぶのにウヨサヨはくだらん問題だ。
早稲田が江沢民呼んだのも凄いと思うよ。
まあ、あそこまでおべっか使うのはどうかと思ったが。

94. Tri 2002/11/26(火) 01:08:54
李登輝の話はとても興味があります。
応援しています。

95. 2002/11/26(火) 01:44:58
日本の国益が損なわれるのは必至。

96. みやもとさん 2002/11/26(火) 15:21:54
台湾にシンパシー持ってる外務省OB見たいなのは居ないのかね。
台湾に愛のある暇そげな教授とかいないかな。
諸君系なら中西先生か。。

てか京大で講演じゃなくて、
京大付近で京大関係者による講演ならいいんでないでしょか。

ちなみに中国と京大との絡みで言うと、
精華大の教授と話したことがあるんだが、
中尾っちは有名人だった。
研究実績はないとのもっぱらのうわさだが。。

97. >落ち武者 2002/11/26(火) 17:39:46
>情報ソースは?
「従軍」慰安婦問題が捏造されたものであるということは常識的に
ネットで調べればわかるでしょ。
もちろん圧倒的に左翼のプロパガンダ用サイトが大半ですが、
京大生ならこれだけでも理解できるはず。http://plaza12.mbn.or.jp/~SatoshiSasaki/jgi-a.html
あとこれはご愛嬌。
http://www.assahi.com/shakai/shakai0303.html


http://www.assahi.com/shakai/shakai0303.html

98. みやもとさん 2002/11/26(火) 18:14:25
てか岡崎久彦さんと李登輝閣下の対談とかどうかな。
岡崎さんは台湾シンパだし外務省OBだしさ。
問題は彼が東大OBだってことなんだが。。
(後、後援料も高いだろうね)

99. >落ち武者 2002/11/26(火) 18:45:23
>ソース
以下は読売による「とどめ」の一文。
これ以降朝日は慰安婦問題をほとんどとりあげていない。

2001年3月1日 読売新聞社説
…前略…
外国に迎合して“ご注進”することにより、
外圧を利用する形で日本国内の世論を操作
しようとする一部マスコミが常用する手法
の結果だろう。
過去、何度となく、同じような現象があった。
例えば、いわゆる従軍慰安婦問題。
これは、そうした特定マスコミが、
戦時の勤労動員だった女子挺身(ていしん)隊
を、強制的な“慰安婦狩り”制度だったと
歴史を捏造(ねつぞう)した結果、
一時、日韓関係を極度に悪化させた。
歴史を捏造してまで、日本を比類のない悪の権化
に貶(おとし)めようなどというのは、
「自虐史観」の極みである。
中韓両国は、こうした特定マスコミの報道に便乗して
対日外交カードとするようなことがあってはなるまい。
…後略…

100. (  ̄ー ̄) 2002/11/26(火) 18:53:12
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200211/02110081.html

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